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長野地方裁判所上田支部 昭和39年(ワ)121号 判決

原告 富岡隆

右原告訴訟代理人弁護士 岡田実五郎

同 佐々木熙

被告 加藤美起

右被告訴訟代理人弁護士 富森啓児

同 菊地一二

同 林百郎

主文

原告が被告に対し賃貸中の別紙第一目録記載の建物の賃料は昭和三九年一二月六日から月額金二万円に増額されたことを確認する。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

事実

原告は

一、請求の趣旨として、

被告は原告に対し別紙第一目録記載の建物に対する賃料は昭和三九年一二月六日から月額金一〇万四、三七二円に増額されたことを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする、

との判決を求め、

二、請求原因並に被告の主張に対する反論として別紙の通り陳述し、

三、立証≪省略≫

被告は

一、原告の請求を棄却する、

訴訟費用は原告の負担とする、

との判決を求め、

二、答弁並に抗弁として別紙の通り陳述し、

三、立証≪省略≫

理由

第一、建物の賃料の性質及び借家法第七条の解釈

建物の賃貸借に基く賃料は本来建物の使用価値に対して支払われるべきものであって、これに賃貸借人間の特殊事情が加わって具体的な賃料が定まるものである。而して建物の使用価値は、賃貸借契約による使用目的、敷地の地形及び建物の構造、位置、耐用年数、環境等により定まり、特殊事情としては、賃貸借人間の対人関係、権利金敷金の有無、修繕費その他の負担関係、賃貸期間の長短、従来の賃料額、従来の賃料が定まってから次の賃料増額請求に至るまでの期間等が加味されるのが通常である。

次に借家法第七条による賃料増額の請求は土地若しくは建物に対する租税その他負担の増加、土地若しくは建物の価格の昂騰により又は比隣の建物の借賃に比較して不相当となった場合、賃貸人が一方的に賃料の増額をなし得る形成権であって、右権利行使により相当賃料額の限度で賃料が増額されるものであるが、如何なる賃料増額が相当であるかは前記建物の使用価値、賃貸借人間の特殊事情を基準とし、借家法第七条の事由の存否及び程度によって総合的に定まるものである。従って原告主張の如く単純に土地並びに建物の時価に一定の利潤を乗じて得た金額によるべきものではないこと借家法の精神に照し明白であるので、これと見解を異にする右原告の主張は採用しない。

他方被告は、賃料増額の請求をなすには事前協議を必要とし、又原告の本件賃料増額の請求は過大であって信義に反し、かつ権利の濫用であると抗弁するけれども、賃料額請求につき事前協議をなすことは好ましいことであるが、事前協議をなすことが賃料増額請求の要件でないことは明白であり、又賃料増額請求は賃貸人が如何なる請求をするにせよ結局相当額において定まるものであって原告の請求が過大であるの一事を以てしては信義則違反又は権利濫用といえないので右被告の抗弁も採用しない。

第二、事実の判断

一、左の事実は原被告双方の主張及び≪証拠省略≫を総合してこれを認める。

原告の父富岡守太郎は同人所有の別紙第二目録記載の宅地上に別紙第一目録記載の建物を所有していたが、昭和六年一二月一日被告の亡夫加藤蔦次郎に対し右建物を、権利金敷金なしで、店舗兼住宅として使用させる目的で、賃貸期間を定めず、賃料月額二〇円で賃貸し、蔦次郎は右建物において瀬戸物商を経営した。蔦次郎は昭和一七年一二月五日死亡し、同日被告は蔦次郎の賃借人たる地位を承継し瀬戸物商を経営して今日に至った。他方守太郎は昭和二三年一〇月一日前記土地及び建物を原告に贈与し、同日原告は本件建物の賃貸人たる地位を承継した。

終戦後の経済事情の急激な変動に伴い諸物価が昂騰し、本件土地建物の価格も昂騰したが、本件建物の賃料は賃貸借以来昭和二一年一月二五円に、同年六月三五円に、昭和二五年四月五〇〇円に、同年九月一、〇〇〇円に、昭和二八年一月三、七〇〇円に、昭和三〇年一月四、〇〇〇円に、昭和三二年一月五、〇〇〇円にそれぞれ協議の上増額された(昭和一九年一七円五〇銭に協議減額、昭和二六年三月三、五〇〇円に、昭和三八年一〇月一万円にそれぞれ協議増額されたとの被告主張については争いがある)。

昭和三八年三月原告は被告を相手方として上田簡易裁判所に和解の申立をしたが、右申立に先だち原告と被告との間には折柄上田市の道路拡張計画に伴なう本件建物曳移転工事が行なわれることになっていたので右曳移転工事完了後、賃料を一万円に増額することの了解ができていた。しかし右和解において原告は賃貸期間を三ヶ年とし、期間満了後は当事者間において合意が成立したときは期間を延長すべきことを主張し、被告は賃貸期間を五ヶ年とし、期間満了後は特別の事情のない限り協議の上契約を更新すること、その代り賃料を原告の要求を上廻る一万三、〇〇〇円に増額すべきことを主張して互に譲らなかったため和解は成立するに至らず、右和解が不成立となったため原被告間の前記移転工事の話合も中断するに至ったが、上田市不燃化委員会、上田市都市計画原町委員会の委員その他の斡旋により移転工事の話合が成立し速かに原告は曳移転並びに外装工事を、被告は内装工事をすることとなり、原告は曳移転工事を開始したが中途工事を放棄し、何時工事が完成するか見通しがつかなかったため被告においてその後の工事を代行したが、被告の代行工事につき原告は原告の意に反する点ありとし、被告の信義違反を理由として賃貸借契約解除の通告をなし、本件建物明渡請求の訴を当裁判所に提起したが、原告の請求は理由なきものとして原告敗訴の判決があり、同判決は確定した。その後も原被告間の対立がつづき、原告は被告に対し昭和三九年一二月五日本件賃料増額の通告をなし、続いて本訴を提起するに至ったものであるが、これに対し被告は月額一万八、〇〇〇円の限度ならば賃料増額に応じてもよい旨の意向を表明している。

二、次に≪証拠省略≫を総合すると左の事実を認めることができる。

(一)  本件建物の位置、交通状況、環境

本件建物は信越線上田駅より北方へ向って松尾町通りから上田市の中心街である上田郵便局角の十字路を経て約一〇〇米の原町通り右側商店街の中心にあり、国道一八号線に面し付近にバス停留所があり交通頻繁である。右原町通りは元本件建物の僅か南方西側に所在する商工会議所付近までが繁華街であったが、三、四年前より右国道の拡張計画が着々実施され、併せて近年原町の北西部地域の新田、緑ヶ丘等が住宅地として著しく発展するに伴い、昭和三七年頃より右繁華街が北方に向ってのび本件建物付近も繁華街として急激に発展しつつある。

(二)  本件建物の状況

本件建物の敷地である宅地は、表側道路面の間口三間、奥行二〇間余りの奥拡がりの著しく細長形の地形であり、本件各建物は右宅地一杯に建設せられあり、建築時は不明であるが約一〇〇年を経過した旧式木造の老朽建物であり、昭和三八年中道路拡張のため約二間半後方へ曳移転し、右移転工事に際し原告が曳移転工事及び外装工事費を負担し、被告が内装工事費を負担することとして移転工事をしたが、工事中原被告間に紛争が生じたため工事は必要最少限度にとどめられ近隣の店舗の如き近代的な改装工事は施行されず近隣店舗に比し外観実質共に著しく劣る。

(三)  本件建物及びその敷地である本件土地の価格の変動は左の通りであり、特に土地の価格騰貴は著しい。

宅地の価格

年度    一坪の単価      価格

昭和二六年 二万五、〇〇〇円   二四四万三、〇〇〇円

昭和二七年 三万円        二九三万一、六〇〇円

昭和二八年 三万五、〇〇〇円   三四二万〇、二〇〇円

昭和二九年 四万円        三九〇万八、八〇〇円

昭和三〇年 五万円        四八八万六、〇〇〇円

昭和三一年 六万円        五八六万三、二〇〇円

昭和三二年 七万円        六八四万〇、四〇〇円

昭和三三年 八万円        七八一万七、六〇〇円

昭和三四年 一〇万円       九七七万二、〇〇〇円

昭和三五年 一一万円     一、〇七四万九、二〇〇円

昭和三六年 一三万円     一、二七〇万三、六〇〇円

昭和三七年 一五万円     一、四六五万五、〇〇〇円

昭和三八年 一七万円     一、六六一万二、四〇〇円

昭和三九年 二〇万円     一、九五四万四、〇〇〇円

建物の価格

年度      価格

昭和二六年      五七万円

昭和二七年      五七万円

昭和二八年      五七万円

昭和二九年      五七万円

昭和三〇年      五七万円

昭和三一年      五七万円

昭和三二年 五六万三、二五〇円

昭和三三年      五五万円

昭和三四年      五三万円

昭和三五年      五一万円

昭和三六年      四九万円

昭和三七年      四七万円

昭和三八年      四五万円

昭和三九年 七九万八、二五〇円

(四)  本件建物及び土地の公租公課の変動は左の通りであり、特に土地建物共昭和三二年以降はさしたる変動がない。

宅地

年度        倍率    課税標準額    固定資産税 都市計画税

昭和二七年     一・〇五〇 三三万八、六〇四円 二万〇、三一六円

昭和二八年     一・一八〇 三八万〇、五二六円 二万二、八三一円

昭和二九年     一・五六九 五〇万五、九七一円 三万〇、三五八円

昭和三〇乃至三二年 一・八五〇 五九万六、五八八円 三万五、七九五円

昭和三三乃至三五年 一・七五〇 五六万四、三四〇円 三万三、八六〇円

昭和三六乃至三八年 一・八五〇 五九万六、五八八円 三万五、七九五円

昭和三九年     二・二二〇 七一万五、九〇五円 四万二、九五四円

建物

年度         課税標準額   固定資産税 都市計画税

昭和二六年     三九万八、〇九〇円 二万三、八八〇円

昭和二七乃至二八年 四四万七、三六〇円 二万六、八四一円

昭和二九乃至三二年 五八万一、五六八円 三万四、八九四円

昭和三三乃至三九年 五五万二、四八九円 三万三、一四九円

(五)  比隣の家賃

本件建物の比隣の賃料についてみるに、建物の使用目的、構造、耐用年数、位置、環境がそれぞれ異るほか賃貸借当事者の対人関係、権利金又は敷金の有無、賃貸の時期及び期間の長短、賃料増額の経過、経費負担等諸般の事情を異にするので本件建物に適切に比較できる建物は殆んどないが、概して見れば長年賃借するものは賃料安く、近年新らたに賃借せるものは高く、その差が相当大幅であり本件建物程度の諸条件の建物についての比隣の賃料を推定すれば、昭和三九年末当時を標準として新らたに賃借する場合月額賃料三万円前後、長年賃借せる場合月額一万円乃至二万円程度である。

三、よって本件建物の昭和三九年末現在における賃料増額の当否について判断するに、以上認定の賃料増額の諸要因、即ち賃貸借契約上の建物使用目的敷地の地形及び建物の構造、耐用年数、位置、環境等建物使用価値決定の要素及び賃貸事情、賃貸期間その他の賃貸条件、賃貸増額の経過、殊に最終賃料に増額して以来の年限、土地建物の価格騰貴、公租公課の変動、比隣の建物の賃料等を総合すると従来の月額金五、〇〇〇円の賃料は著しく不相当であり、本件建物の昭和三九年末における賃料増額請求は月額金二万円の限度において相当として容認さるべく、その余は失当として排斥さるべきものである。被告の抗弁中、賃料増額請求は現行賃料が著しく不相当となった場合に限るものであるところ本件の場合これに該当しないばかりか原告の値上請求の事由そのものも存在しないとの点は、前示認定に照し採用せず、又昭和三八年一〇月中月額賃料一万円に増額する旨の合意があったとの主張は、この点についての被告本人尋問の供述は採用せず、他にこれを認めるに足る証拠なく、右は既述認定の通り右賃料増額についての一応の了解ができたに過ぎないものである。尚原告援用の鑑定人湯原哲の鑑定の結果は同人の証人としての供述に見られる如く専ら地価及び建物の価格に一定の利潤を乗じたものをもって適正賃料と鑑定し、その他の事情を殆んど考慮しておらないので直ちにとって借家法第七条に基く賃料増額の資料とするに足らない。

以上認定の通りであって原被告共他にこれをくつがえすに足りる証拠がないので原告の本訴請求を一部認容し、その余を排斥し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条第九二条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 草深今朝重)

〈以下省略〉

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